top of page
「生物文化多様性の視点で考える都市と農村の関係」
敷田麻実(北大観光学高等研究センター)
1. 生態系から生態系サービスへ
生態系や生物多様性維持に関する国家的な方針を含む「生物多様性国家戦略2012-2020」が2012年に閣議決定された。同戦略では、「すべての生物が異なっていること」が生物多様性であり、遺伝子レベルから生態系レベルまでの多様性の充実が重要だとしている。最近は科学用語である「生物多様性」が、「生態系」とともに常用されるようになってきた。内閣府大臣官房政府広報室が2012年に行った「環境問題に関する世論調査」でも、「生物多様性」という言葉を知っている、聞いたことがあるという回答者の割合は55.7%で、前回の2009年調査の36.4%から増加している。
一方、この生物多様性と関連して使われるようになってきた言葉に「生態系サービス」がある。生態系サービスとは、生態系の働きによって生ずる価値であり、人が生態系の機能を利用する際の価値の総体であると言われている(湯本2011)。いわば「自然からの恵み」(佐藤2009)であり、生態系から得られる「メリット」でもある。その内容は、基盤サービス、供給サービス、調整サービス、文化サービスの4つに分類されている(Millennium Ecosystem Assessment2007)。生態系からの恵みを「サービス」として捉えることで、無料ではなく、サービスの対価を意識することができるようになった。
この生態系サービスを利用するためには、生態系とのかかわりが不可欠である。かかわりを持つことなく、いわば間接的に生態系サービスを手に入れることも可能だが、サービス提供主体との何らかの関係は必要である。ところが、利用に必要となる生態系と人のかかわりは、国内では「自然とのふれあい」などの曖昧な言葉で説明されることが多い。その理由はいくつかあると考えられるが、日本では、身近な自然と調和、または拮抗して暮らしてきたため(上田、 1996、 212頁)、大規模な原生自然と対峙するようなきびしい関係が避けられたからであろう。また、ふれあいが持つ柔軟なイメージが、社会的に受け入れやすいという現実もある。
しかし、ふれあいという曖昧な表現では、人が生態系を擬人化して「友好関係」を結ぶイメージしか生じない。生態系と人との関係は、災害などの例をあげるまでもなく、人にとって好ましいものばかりではない。また、生態系の状態や利用者の状況、利用者間の関係で生態系サービスの利用可能性は決まる。さらに、人の利用が生態系や生物多様性に影響し、生み出される生態系サービスも変化する。そのため、生態系サービスの利用では、生態系と人との相互作用を捉えなければならない。そして、生物多様性や生態系の健全度は、私たちの生態系への働きかけやかかわりによって変化することを前提に、生態系とその利用の両方を同時に考慮することが、結果的に生態系や生物多様性を重視することになる。
2. 生態系サービスの利用と文化
一般のサービスの提供では提供者と受益者(=消費者)が必要で、両者の関係次第で受けられるサービスの質や内容が決まる。生態系サービスの場合、提供者は生態系で、受益者は人である。その関係が薄ければ、生態系サービスを十分利用できない状態が起きる。逆に搾取的であれば、生態系の健全度や持続可能性に配慮することはなく、資源枯渇や環境破壊などの問題を生ずる可能性が高い。つまり、生態系サービスを効果的に利用するには、生態系と人との「関係のあり方」を考える必要がある。この関係のあり方、「かかわり」を「文化」だと考えることができる(図1)。文化とは、ある集団で共有され、世代間承継される習慣や価値観などを指し(高橋 2010)、生態系を利用する技術や環境認識も含まれている(波平 2011)。
ただし、すべての文化が生態系と人のかかわりから生み出されるのではなく、言語や芸術のように、文化どうしの交流から新たな文化が生み出されている例も多い。それは、生態系の中で交雑によって種に変化が生じたり、種間競争が進化につながったりすることに似ている。そのため文化が交流する機会が多い都市部では、異文化どうしの接触から新たな文化が生成されていく。近年、Florida(2002)らが提案している「クリエイティブ経済」が都市のあり方に大きな影響を与えてきた。こうした主張は、多様な文化の交差から新たなイノベーションや経済発展が起きることを重視している。
3. 相互作用としての生物文化多様性
生態系サービスは人にとって重要であり、生物多様性を保全することが生態系サービスからの持続可能な利益の確保につながることは理解され始めている。しかし、生態系サービスだけで社会が形成できるのではない。社会を維持するためには文化サービスも必要である。そして多様な文化サービスのための文化多様性への配慮は、グローバリゼーションの中であっても重要視されている。
こうした生物多様性だけではない尺度、つまり生物多様性と文化多様性を同時に論じようという提案が「生物文化多様性(Biocultural diversity)」である。この考え方は1988年にブラジルのベレンで行われた「International Congress of Ethnobiology」で示された。Loh and Harmon (2005) はそれを「Biocultural diversity as the total sum of the world’s differences、 no matter what their origin」だと説明している。
ところが国際的な生物文化多様性の議論では、原生自然に近い生態系と伝統的文化との組み合わせや、言語の多様性に注目した研究が多い。前述したLoh and Harmon (2005) でも、生物文化多様性の国家間比較を試みているが、文化の内容に触れてはいない。Sobo(2013)の近著でも、伝統的文化と生物多様性の紹介がほとんどを占める。
一方、国内の研究では、須賀(2012、 93-94頁)が生物資源と伝統的文化の関係を議論している。また木俣ほか(2010、 32頁)も在来品種の保全と伝統的知識の関係を議論するために「生物文化多様性」に言及している。いずれも伝統的文化が中心の議論であり、都市の現代文化や創造性と生物多様性を議論しているのではない。
しかし、世界人口の約50%が都市部に住む現在、生物文化多様性の概念を用いて都市の生物多様性や現代文化における文化多様性、文化間の相互作用による新たな文化創造を議論すべきではないだろうか。それは前述した議論や研究に価値がないという批判ではない。原生自然や保護対象となる生態系における文化多様性と、伝統的文化や言語の多様性だけの考察では、都市の生物多様性や現代文化と創造性が十分評価できないからだ。
国内の地域を考えても、自然が豊か、つまり生態系の絶対量や生物多様性だけに注目した豊かさや、逆に文化多様性や現代文化の集積だけに着目した豊かさの指標では、本質的な地域の豊かさは表現できない。前者であれば田舎が圧倒的に有利であるし、後者であれば人口集積がある都市が有利となる。そこに、生態系と文化及びその相互作用を統合して評価する生物文化多様性に注目する理由がある。
そこで、生態系と文化を分けて考えるのではなく、「生態系と人が生み出した文化の間の関係性の多様性」を評価するフレームワークとして生物文化多様性が活用できるのではないか。生態系の問題を生物多様性という客観指標だけで考えるのではなく、生態系と人や社会との相互関係の多様性で捉えることで、都市と田舎の役割分担を超えた自然共生社会の実現が期待できる。
(参考文献)
Florida, R.(2002),The Rise of the Creative Class: And How it's Transforming Work, Leisure, Community and Everyday Life, New York: Basic Books.
木俣美樹男・井村礼恵・大崎久美子・川上香・和田綾子(2010)「生物文化多様性と農山村振興-在来品種と伝統的知識体系」『国際農林業協力』第33巻第2号, 27-32頁.
Loh, J. and Harmon, D.(2005),"A Global Index of Biocultural Diversity", Ecological Indicators, 5, pp. 231-241.
Millennium Ecosystem Assessment(2007)『国連ミレニアム エコシステム評価-生態系サービスと人類の将来』オーム社.
波平恵美子 (2011)「人間と文化」波平恵美子編『文化人類学 [カレッジ版]』 医学書院.
佐藤哲(2009)「知識から知慧へ-土着的知識と科学的知識をつなぐレジデント型研究機関」鬼頭秀一・福永眞弓編『環境倫理学』東京大学出版会.
Sobo, E.J.(2013),Dynamics of Human Biocultural Diversity: A Unified Approach, California: Left Coast Press.
須賀丈(2012)「日本列島の半自然草原-ひとが維持した氷期の遺産」須賀丈・岡本透・丑丸敦史『草地と日本人-日本列島草原1万年の旅』築地書館.
高橋昌一郎(2010)『知性の限界-不可測性・不確実性・不可知性』講談社.
上田篤(1996)『日本の都市は海からつくられた-海辺聖標の考察』中央公論社.
湯本貴和(2011)「日本列島はなぜ生物多様性のホットスポットなのか」湯本貴和・松田裕之・矢原徹一編『環境史とは何か』文一総合出版.
bottom of page